そうか、物語はツリー構造(伏線わかれてそのまま回収できず)ではなくセミラティス構造(伏線をちゃんと回収してかつ様々なところに結びついている) になることで面白くなるのかもしれない。結局「つながり」が面白さ・感情を喚起させるのだろうか?物語の構造を図式化したら面白そうだ。

複雑になってしまうわけはなんだろう?

シンプルなものがどんどん複雑になっていく。色々なものが年月を経て多くの人が関わっていくうちに、あれやこれやの定義だったりケース毎の具体例がまとわりついてきて本当に大事なところ・本質的な所が隠れてしまい複雑になっていくのだろう。エントロピーがどんどん増えていく。物事は本質的にシンプルであってそのシンプルさを保ち続けることこそが本当の意味での改善だったり維持ではないだろうか。

具体例やバリエーションが増えると一見派手に見えるが余計なものがまとわりついているだけ。本質からどんどん遠ざかっていく。📝

奥さんに人類の知恵の伝承がいかに難しいかの話をしていたら最終的には自分の愚者ぶりを再認識してしまった。自分でやってみて経験しないと気がすまない・自分の道を歩みたいというエゴ、よりよくしたいと思うがその実本質をわかってないでうまくいかないみたいなボロがでてきてズーン… 😩

過去を振り返り反省の日々。過ぎ去った時は戻せない。できることは過去を未来に繋げること、過去に意味づけをすること、過去の自分を許すこと。📝

最短距離を走るのではなく、寄り道ばかりしている人生だった。。。。

IndieWebの流れでKnownを触っているがなかなか興味深い。IndieAuthとWebmention組み合わせると分散SNSみたいなイメージなんだろうか。SNSの分散化の流れにもみてとれる。昔SCMがSubversionからGit/Mercurial移った移行期を思い起こさせる。でもまだまだこれからなんだろうなー。

人はそれぞれが自然である。人が自然を変えることはできないのと同様に人が人を変えることはできない。できるのは自分が変わる=外部環境に適応することでしかなく、結果として相手が変わってもそれは自分が変わったことによる相互作用の結果でしかないという結論に至った子供との石鎚登山だった。💡

故人のサイトを残すという意味で「まさーるのページ」を思い出さざるを得ない。ホストしてくれているオブラブ/ESMには感謝しかないなぁ。 toyokeizai.net/articles/…

ヘレン・ケラー、この伝記上でしか知らないこの人をもっと知りたくなってきた。視覚・聴覚が閉ざされた中でどのような世界を見ていたのか?触覚や身体感覚を研ぎ澄ませて見えていた世界を知りたい。視覚に頼り切った人びとではわからない世界なのかも知れないけど… 💡

今困っていることは多分10年20年前にも困っている人達がいて当時うまくやろうとしたアイデア・取り組みを再発見すると今の人は色々楽できるかもしれない。それらはツールだったりコンセプトだったりパターンだったりするかもしれない。それをずっと世に伝え続ける人がエバンジェリストなのかな。📝

コンテンツがエクスポートできないってことはユーザーの退会方法を面倒くさくするのと似た戦略な気がする。入会だけだなく退会とかimport/exportも立派なUXだと思うね。

頭で考えてる時や文章に書く時には冷静なつもりでも口に出して話し始めるとテンション高まることあるよね。これって思考を口に出すことによるフィードバックなのだろうなぁ。声にすること大事だね。