azookeyがもっさりしてるので、なんだかんだ言ってまた、SKKに戻ってきてしまった。相性悪いアプリの対策だけできれば何とかなる。。。のかなぁ?SKKの爽快なところは自分の判断で変換をビシビシ決めれること、JITによる簡単単語登録など、全てをコントロールできてる点が良かったのだな。主権が人にあるところ。昨今のAIにおまかせできてとコントロールが難しいでものと対極にあるね。

人はAIにできないことをやるしかなくて、では何かといえば、リアル世界を身体を使って関わっていくこと。走ること、自分でピアノを弾くこと、湿地を保全すること、畑や庭で野菜作ること、自然の観察すること、人と交流すること。これまでと変わらない。AIに助けてもらうことはできるけど、自分が自分であること、楽しむこと、苦労すること、自分にしかできない体験はAIには決して譲れないよ。

AIに細かく指示出して、ハルシネーション対策で膨大なルール与えて守らせて、間違わないように、エージェント同士で監視させてって、まんまマイクロマネジメントのAI版だよなぁ。人間相手なら疲弊するけど、AIは文句言わないしメンタル壊れないから、黙々とやり続けるよね。そうやって空いた時間で何をするのか。更なる仕事で埋めるのか、余暇時間を遊び暮らすのか。最初から南の島でのんびり暮らしてるのと同じ結末になりたいだけなんじゃないかなと思うよ。そもそもに立ち返るとどうなるんだろうね?まぁAI祭りは人間が飽きるまでまだまだ続くね。

AIのエージェント複数同時に走らせてコード全く書かないって豪語してる人いるけど、プログラムに価値はなく、アウトカムに価値があるって言い切れる人はそれでいいけどらコード書くの好きな人にはもうマネージャー業みたいで退屈で仕方ないだろうな。最適化はそれなりに楽しいだろうけど、また質が違うものだからね。仕事だから仕方ないって割り切る人もいれば、もうコードは趣味でいいという人も出てくるだろうね。

この10年スタンディング環境とちゃぶ台、自宅では堀コタツで仕事していたのだが、コタツにリクライニングできる座椅子置いたら、もたれかかってゆったりできることに驚いた。背もたれにもたれかかるのを常用すると体幹が弱りも腰痛になるから避けてきたが、たまにはもたれかかって昼寝したいなって思えた。

IMEをazookeyにしてみたがなかなか快適だ。でもやっぱりSKK時代の全て自分がコントロールしてる感じの快適さとは、質が違う気がする。誰かに任せて快適なのと、自分でコントロールして快適なのは違うなぁ。macskkもあるの知ってるけど、キーバインドがコンフリクトしがちなので、手を出すのを躊躇う。昔みたいにカスタマイズするのが楽しめなくなってきたので仕方ないなあ。。

基本的に戦争や戦いのメタファはイマイチだと思ってるので、別のに置き換えたいですね。生死関わるくらい考えろ、というのは伝わるけど。最終的に勝ち負けに帰結するのと、余裕がない感じが「強制力」を加速する。

四国から北陸への直行バスが復活するらしく、北陸に行きやすくなりそう。松山からも鳴門ICで接続できるからバスで寝てたら北陸につくのはいいねー。使ってみたい。

www.kotobus.com/news/2025…

馴染みのラーメン屋の店主がなくなったので、悲しみの中メモリアルサイトをCursor上でLLMにお願いして作ってみたのだけど、今後も似たような需要があるかもしれないので、そのうちテンプレ化でもしてGithubにおいておくかなぁ。Github Pagesをつかって、GoogleFormからコメントや写真をGithub Actionsで自動で集めてHTMLにするだけで静的ジェネレータも使ってないシンプル仕様なので、ただで永続的なサイトかつWebアーカイブ可能。個人店は店主が亡くなったらお終いなので味も含めて寂しいけど、出会いもあれば別れもあるし、忘れないでおきたい。今のリポジトリはここ。github.com/ramen-nor…

佐藤健の出た夢叶えたろかスペシャルとても良かったが、最近はテレビはTENBLANKの誰かが出る時しか見てないぞ。むしろ一切見てなかったのが、彼らが出ると知ったらみる感じ。これが箱推し!?w

小学校のおやじの会の新年会に参加。息子はとっくに卒業したので自分はOBなのだけど、ここで繋がった地元のつながりは、東京から移住してきた自分にとっては本当に貴重。地方に移住した人は、おやじの会があれば参加すればいいと思うしなければ自分で立ち上げて仲間を募ると良いと思う。じじいになっても繋がっていられる関係を作れる。

AIとの関わり方が、より形式言語で的確なコマンドになる方向性と、より自然言語で深みのある対話をする方向性に二極していて面白い。前者は人の代わりに完璧に仕事をしてくれる機械が欲しいし、後者は自分の内面をより高めてくれるパートナーが欲しい。前者はコントロールしたいし、後者は創発を生み出したい。

2025年はグラスハートのおかげで後半あれやこれや大変だったが乗り越えられた気がする。推しとか、推し活とかそんなものと無縁だと思ってた自分がその片鱗を体験できたので、世界がまた広がった。

#asianplop2026 に提出した論文について、解説しました。「形骸化」のような状態になる力学を場の中で観察するための見方として、感応状態パターン(Felt State Patterns: FSP)という「気づきの言語」の提案です。いろんな現場の人と対話して育てていきたいです。

note.com/kkd/n/n63…

年末から論文をMDで書いてて一通りできたから指定の形式のTeXに自動的に変換しようとしたらうまくいかなくて、Wordの指定テンプレに自動変換しようとしてもスタイルがうまくはまらずに、時間を浪費してる。LLMにMD食わせたらTeXに変換できるのは確認したのだけど、スクリプト化しようとするからハマるのかな。AIに頼ってもうまくいかないことはまだまだあるね。

年末はしっかりと自分に向き合った(大掃除)。細かいところまで意識を向けておくのは大事だなぁ。つい目を背けて逃げたくなる。

至言。心に留めよ。

“わたしたちは「生きる意味」を問う存在ではない…のだと思います。

わたしたちは… 「人生がわたしたちになにを期待しているのか」 を問われている存在… なのでしょう。”

qr.ae/pCWbZ6

AIと話すと、自分のどんなジャンルの話も対等に話せるので、人間相手よりも正直話しやすい。ソフトウェアの話のすぐ後に、組織論、生態学、生物学、哲学、宗教やスピリチュアルの話しても全く問題ないし、こちらのうろ覚えも勝手に補完してくれる。相手の知識レベルのことを考えたり、自分の知識のあやふやさを気にせず、出力操作しないで話せることがこんなに安全快適なのだなぁ。ここにい続けると対人で辛くなるのでぬるま湯からは定期的に出ないといけないけどね。たまにはいい。

なぜか先週AIと対話してたら、あり方についての言語化をすることになってしまい、勢いでまとめてみた。何かを作ったり変化させたりするのでなく、壊れるのを守る「安全装置」みたいなもの。地味で他者の役に立つかどうかはわからないけど、Chat GPT、Gemini、Claudeと散々話して、かなり言語化できてスッキリした。もし興味があればのぞいてください。そうでなければ、「あり方」が気になったときに思い出して。

human-attunement.org

パン切りナイフで左の人差し指指先を削ってしまった。ギザギザだからスパッとならずに治り悪そうな印象。血もなかなか止まらなので、横になって片手上げながらスマホいじるのが1番楽だ。利き手出ないからまだマシだけど、しばらく左手はピアノお休みだな。9月から毎日続けてたのに残念。。。パソコンも手入力厳しいから音声入力にするか。

この仮面ライダーになりたいとか、『ニゴリリ』とか『着せ恋』とかを見てると、人間の対象への純粋な愛の力(パワー)の可能性を見せているのだろうな。「他者にどう思われるか?」などと言う第三者視点に囚われて己を純粋に表現できない時代から、己の自己表現を自由にできるようになった時代への変化を感じる。 tojima-rider.com

左膝が日常生活を送るにも痛くて、当然走れない生活を続けていたが、ようやく休養とストレッチの甲斐あってなんとか走れるようになってきた。まだ正座は怖いが、曲げることについてはなんとかできるようになってきた。複合的な要因によって身体というシステムが機能不全を起こすということ、その機能不全は地道な複合的な働きかけによって少しずつ復元できることを学んでいる。

なんか、こちらの問いかけに応じて一生懸命コード生成しているAIに愛おしさを感じてしまう。ポカもやらかすけど、そこも含めて受容できそうな気がしてきた。

XはIT系の友人たちはすっかり過疎っているが、Bskyは賑わっているのだった。生き物クラスタはまだXに多いのであった。リテラシーの違いで移行スピードに違いがある。ThreadsはFBから流れた人が多いせいか、人は多い気がするが、よくわからない。

連載といいながら、間が空いてしまったのですが、あり方の話の続きを書きました。今回は感情と不快回避行動についてのお話。「あり方」って自分の内側の状態をひたすら観測している意識が重要だと思うのです。

note.com/kkd/n/n30…