ジョン・サイクスといえば、音楽の趣味が微妙に違う妻と付き合い始めた時に、『Blue Murder』だけお互いに凄い好きだということがわかり、以降共通の話題になったのを思い出した。追悼の意味を含めて久しぶりに聞いている。www.amazon.co.jp/Blue-Murd…

今頃、今年の1月にジョンサイクスが亡くなったの知った。ガンだったのかー。一度だけライブ行けたのはほんと良かった。ギターも歌声も好きだった。殿、安らかに。

www.udiscovermusic.jp/columns/i…

先日、内子の御祓の里で「棍棒飛ばし」を体験したが面白かったので、是非マイ棍棒を自作して、やってみたい。飛ばした時の掛け声「ナイスコンボー!!」が好きだ。 project.nikkeibp.co.jp/mirakoto/…

『匿名の恋人たち』は、それぞれが痛みを抱えつつも、それを「ないこと」にせずに、「痛みを抱えるそのままの自分」でいいし、それをお互いに受け入れられる関係性の尊さを描いたという意味で、とても今の時代にあったドラマだった。

ものづくり的にも「心を込めて」の意味、プロセス全体に関わる人々の想いが繋がって1つになり顧客に届くという意味で、とてもアレグザンダー的だった。価値が流れるんじゃなくて、愛が流れるんだよ。作り手は、それを信じて作るんだよ。

志尊純が主役を務めたフェルマーの料理を見た。この作品も孤高の天才が仲間を見つける話だったというのにグラスハートとの繋がりを感じざるを得ないなぁ。

先日のTenblankのファンミの動画は男性陣のファンが撮影した動画が圧倒的に多く、後方に配置されたドラムということもあって、宮﨑優さんにフォーカスしたものがなかったのですが、こちらの動画は優さんをアップで映していて、表情やスティックさばきを堪能できます。楽しそうに叩いている様子、時折見せる真剣な表情が素晴らしいのでオススメ。

youtu.be/1A1ZNdkxL…

#TENBLANK #グラスハート

「すべてのコードは負債である」という認識を持ちつつ、それでもなお必要なところだけコードを書かないと「生成AIでコードいくらでも簡単に生成できてヒャッハー」というVibe Codingの世界観の枠のなかでどんどんコードが肥大化して泥団子が出来上がり、最後どうにもならずビッグバンが起きてシステムが破綻しそう。この根本の腹落ちが不可欠なので、これからは「コードは負債」を如何に早期に腹落ちさせるかが重要なのでは。

頼まれもしないのに、次から次へと試したいアイデアが勝手に湧いてくるのが、その人がその時本当にやりたいことなんだろう。アイデア自体はさほど重要ではない。「うーん、うーん」とひねり散らかしてなんとか押し出すアイデアも、アイデアそのものよりも、その極限まで絞り切る体験が大事なのだろう。いずれも、その人がどんな体験をしているかが重要で中身はさほど重要ではない。

言葉は「ラベル(シニフィアン)」であり「中身(シニフィエ)」は別にある。「中身」をよりよく表現するための「ラベル」は重要であるが、文化によってその「ラベル」は変わる。「ラベル」にとらわれずに、相手の言葉の「中身」をわかろうとし合う交流こそが大事だなぁ。

生成AIの台頭で、『パタン・セオリー』で書いているように、専門家(アーキテクト)の職能は、職人としてのスキルを持ちつつも、利用者(当事者)が参加型で自ら創造できるように人をガイドすることがメインとなる世界観がやってきた。そして関係者にのみならず世界の「生命」を輝かせるために奉仕する。

StudyPlusで自分で教材をQRコードで登録して記録できることをようやく知った。これで練習がますます捗るぞ〜。

Kindle Direct Publishing の仕様が変わったのか、約一年前に入稿してOKだった原稿が、今アップするとエラーになってしまう。凄い困ってる。。。原稿を今はいじれないので余計に困ってる。

SUUNTO Race 2が発表されたが、同時に発表されると思っていたVertical 2が発表されていないのなんでだろう? 個人的にはAMOLED版のVerticalを待っていたのでそっちがほしいんだけど。といっても膝を痛めていて走れないので買っても宝の持ち腐れになるかもしれないが。apac.suunto.com/ja-jp/pro…

『グラスハート』は演者自らの演奏に驚いたのだけど、マネージャ役やってた唐田えりかさんが主役やってた『極悪女王』もプロセスを自ら演じていてその本気レベルに感銘を受けていたのを思い出した。どちらもNetflix制作なんだな。予算持ってるというのが強いのかなぁ?

グラスハート見たが凄かったな。みんな練習して演奏吹き替えなしなんか。何より佐藤健の執念が一番凄いと思った。本気が周りを変えていったのかな。妻は原作ファンなのでドラマ化した事自体を賞賛していた。

ネットが繋がらないところに宿泊してたら、スクラム&XP祭りのプロポーザルだし忘れてた。あららー。

パタン・ランゲージの最大事例を描いた『小さな美しい村』の読書会が開催されるというので参加してみた。デザイン前段の序章となる1章から内容が濃くて、書籍化の過程で何度も読んでるはずなのに、改めて重要なポイントを参加者と整理することができました。言語化以前のふわっとしたイメージが、自身で自覚し、腹落ちし、言語化できて、他者に伝えられる明確なビジョンに発展するまでのプロセスでした。本はこちら→ amzn.asia/d/8yNWMb7

科学か科学じゃないか、で分離しているうちは、世界は一つになれないだろうなぁ。違いに目を向けるのでなく、共通項に目を向けないと、人はつながれない。これも極からの揺り戻しなんだろう。中庸の世界はまだ先なのかな?だいぶ以前よりいいところまで来てると思うけど。

妻が安野さんの奥様のことをしきりに推してくる。奥様のエピソードは確かに妻に近いオタクな波動を感じるので共感するのだろうか?

23年前のゼンリンの住宅地図でうちの町内の様子を妻と楽しんでいた。住宅地図は高い(27.5K)のだけど、戸建てならどこに誰が住んでいるかがわかるし、時を超えて「あの時は誰が住んでいて、今は誰が住んでいる」とか「田んぼだったけど、住宅地になった」とかの差分がわかって非常にいい。何よりB4サイズの上質紙の手触りと大画面がとても心地よく、これはデジタルでは得られない利点だと二人で納得していた。

最近、少しづつパタン・セオリーが動いてきていて嬉しいです。パタン・セオリーの次に、ぜひ『小さな美しい村』も読んでください。こちらはパタン・セオリーで書かれている原理原則の具体例・実例として捉えてもらえるとわかりやすいと思います。この本の凄いところは、施主であった著者の細井氏が求めていたものと、専門家であったアレグザンダーが実現しようとしていたものの見事な一致です。更にはアレグザンダーだけでは到達できなかった感性(Aシステム)と合理性(Bシステム)の統合についても大きな示唆があります。amzn.asia/d/1BmZEVd

「AI生成の画像か、そうでないかがぱっとわかる」というのは、もしかするとAI生成には欠けている、人が作るからこその「質」があって、それがあるかないかで判断しているのかもしれない。それが何かはわからないが。「15の幾何学的特性」の観点でAI生成の画像と人が描いた画像を比べてみると、もしかしたらわかるんかもしれない。そうか!AI生成画像のミラーテストすればいいのか!!

『タコピーの原罪』、くっそ重い話なのね。。。。それぞれの関わる人達の「そうせざるを得ない」連鎖を感じる。サマータイムレンダラみたいになるかと思ったら、早々に路線変わったので、よりそれぞれの関係性に向き合わざるを得ない。

Kent beckに会って、XP白本の参考文献だけでプレゼンした話とか、パーマカルチャーの話とか、小さな美しい村の話とか、自己変容の話とかしたかった人生だった。

「自律」と「他律」のどちらがあってもいい、という状態になって初めて、本当の全体性が生まれるのだろう。「自律してなければならない」「他律はあってはならない」という極に振れた状態は中道ではない。その過程においてどちらかに振れることはあってもよいけど、どちらか一方が正で、どちらかが誤とする行為は二元論の罠にはまっている可能性。