人生とは、自分の弱さや小ささを受容することと、自分の無限の可能性を信じることの、両方を学ぶことがテーマのなのかなと思った。前者だけでは矮小化してしまうし、後者だけでは傲慢になる。小さいが大きい、弱いが強い、この矛盾する両面を持つのが人間である、と人生を通じて学べるかどうか。

人の罪は、現世で償えるものと、そうでないものが、あるのかなと思った。できれば前者ですべてあって欲しいが、そういうわけでもないだろうな。そういうのは、来世にテーマとして引き継がれるのかもしれないな。

「ダーウィン事変」のアニメ版見始めたが、寄生獣を思い出しちゃった。チャーリーとミギーはだいぶテイスト似ているよね。寄生獣リスペクトあるいは21世紀の寄生獣なのかもしれないなぁ。

曲に想いをこめて演奏するというのが、どういうことかわかったきがする。ピアノの森で音が同じパンウェイの冷たい炎のような表現と、阿字野の暖かい表現の違いとか描かれていたけど、譜面通りに機械的に演奏するのでなく、感情という揺らぎが身体の動きに出るしそれが音に現れるのだろうなぁ。

盛岡で頭が痛いから二日酔いかと思って(そんな飲んでない)フラフラで帰路に着いたが、微熱もあって風邪とも思ったが、どうもcodexでひたすらアプリ作ってたからかもと思った。空き時間ひたすら開発に注ぎ込むとか、自分が手を動かさなくてもヤバいと改めて痛感。決断にもリソース必要だしなんでもそうだが、楽しければいいというものでもないのだ。走りすぎても怪我するし、画面見過ぎでも頭痛がする。調和大事。

AIによって人類はすべてPOwnerableになるのだな。違いは開発に詳しいか、そうでないかの違いなのかもしれない。これは当事者による開発と近いけど、同一ではないとも思う。手を動かすのと、依頼してるのの違いは大きい。

人は行動するコストが惜しいのではなく、決断する意思決定コストを惜しんでるのではないかという直観が降りてきた。その理由は「責任を取りたくないから」。決断するということは、自分で責任を負うということであり、それを回避したい(他者に決めて貰えば、自分のせいではないと言える)からではないだろうか。これをいうと他者に任せられないでは?という意見が上がるかもしれない。でも責任を引き受ける人は、他者に委譲した責任を引き受ける。自分で選んで相手に任せた人は、何かあっても「あいつのせいだ」とは言わない。責任を引き受けるとはそういうことだろう。

今動画見ても、レベルが違うなと思うのは、伊藤みどりのファギュアスケートと、初代タイガーマスクのプロレスと、江川卓のストレート。3人ともほんとすごい。リアルタイムで見てたけど、改めて驚愕する。

Codexで以前から欲しかったスマホアプリを作っている。自分で調べて時間かければできるのはわかってるけど、時間をかけれないので結局作れなかったものが、Codex/ClaudeCodeでさくっと作れるのは個人的にはむちゃくちゃ嬉しい。開発技術を学びたいという気持もなくはないが、それよりもアイデアを形にして試す方に興味があるので、開発の学びがないのはトレードオフ。

azookeyがもっさりしてるので、なんだかんだ言ってまた、SKKに戻ってきてしまった。相性悪いアプリの対策だけできれば何とかなる。。。のかなぁ?SKKの爽快なところは自分の判断で変換をビシビシ決めれること、JITによる簡単単語登録など、全てをコントロールできてる点が良かったのだな。主権が人にあるところ。昨今のAIにおまかせできてとコントロールが難しいでものと対極にあるね。

人はAIにできないことをやるしかなくて、では何かといえば、リアル世界を身体を使って関わっていくこと。走ること、自分でピアノを弾くこと、湿地を保全すること、畑や庭で野菜作ること、自然の観察すること、人と交流すること。これまでと変わらない。AIに助けてもらうことはできるけど、自分が自分であること、楽しむこと、苦労すること、自分にしかできない体験はAIには決して譲れないよ。

AIに細かく指示出して、ハルシネーション対策で膨大なルール与えて守らせて、間違わないように、エージェント同士で監視させてって、まんまマイクロマネジメントのAI版だよなぁ。人間相手なら疲弊するけど、AIは文句言わないしメンタル壊れないから、黙々とやり続けるよね。そうやって空いた時間で何をするのか。更なる仕事で埋めるのか、余暇時間を遊び暮らすのか。最初から南の島でのんびり暮らしてるのと同じ結末になりたいだけなんじゃないかなと思うよ。そもそもに立ち返るとどうなるんだろうね?まぁAI祭りは人間が飽きるまでまだまだ続くね。

AIのエージェント複数同時に走らせてコード全く書かないって豪語してる人いるけど、プログラムに価値はなく、アウトカムに価値があるって言い切れる人はそれでいいけどらコード書くの好きな人にはもうマネージャー業みたいで退屈で仕方ないだろうな。最適化はそれなりに楽しいだろうけど、また質が違うものだからね。仕事だから仕方ないって割り切る人もいれば、もうコードは趣味でいいという人も出てくるだろうね。

この10年スタンディング環境とちゃぶ台、自宅では堀コタツで仕事していたのだが、コタツにリクライニングできる座椅子置いたら、もたれかかってゆったりできることに驚いた。背もたれにもたれかかるのを常用すると体幹が弱りも腰痛になるから避けてきたが、たまにはもたれかかって昼寝したいなって思えた。

IMEをazookeyにしてみたがなかなか快適だ。でもやっぱりSKK時代の全て自分がコントロールしてる感じの快適さとは、質が違う気がする。誰かに任せて快適なのと、自分でコントロールして快適なのは違うなぁ。macskkもあるの知ってるけど、キーバインドがコンフリクトしがちなので、手を出すのを躊躇う。昔みたいにカスタマイズするのが楽しめなくなってきたので仕方ないなあ。。

基本的に戦争や戦いのメタファはイマイチだと思ってるので、別のに置き換えたいですね。生死関わるくらい考えろ、というのは伝わるけど。最終的に勝ち負けに帰結するのと、余裕がない感じが「強制力」を加速する。

四国から北陸への直行バスが復活するらしく、北陸に行きやすくなりそう。松山からも鳴門ICで接続できるからバスで寝てたら北陸につくのはいいねー。使ってみたい。

www.kotobus.com/news/2025…

馴染みのラーメン屋の店主がなくなったので、悲しみの中メモリアルサイトをCursor上でLLMにお願いして作ってみたのだけど、今後も似たような需要があるかもしれないので、そのうちテンプレ化でもしてGithubにおいておくかなぁ。Github Pagesをつかって、GoogleFormからコメントや写真をGithub Actionsで自動で集めてHTMLにするだけで静的ジェネレータも使ってないシンプル仕様なので、ただで永続的なサイトかつWebアーカイブ可能。個人店は店主が亡くなったらお終いなので味も含めて寂しいけど、出会いもあれば別れもあるし、忘れないでおきたい。今のリポジトリはここ。github.com/ramen-nor…

佐藤健の出た夢叶えたろかスペシャルとても良かったが、最近はテレビはTENBLANKの誰かが出る時しか見てないぞ。むしろ一切見てなかったのが、彼らが出ると知ったらみる感じ。これが箱推し!?w

小学校のおやじの会の新年会に参加。息子はとっくに卒業したので自分はOBなのだけど、ここで繋がった地元のつながりは、東京から移住してきた自分にとっては本当に貴重。地方に移住した人は、おやじの会があれば参加すればいいと思うしなければ自分で立ち上げて仲間を募ると良いと思う。じじいになっても繋がっていられる関係を作れる。

AIとの関わり方が、より形式言語で的確なコマンドになる方向性と、より自然言語で深みのある対話をする方向性に二極していて面白い。前者は人の代わりに完璧に仕事をしてくれる機械が欲しいし、後者は自分の内面をより高めてくれるパートナーが欲しい。前者はコントロールしたいし、後者は創発を生み出したい。

2025年はグラスハートのおかげで後半あれやこれや大変だったが乗り越えられた気がする。推しとか、推し活とかそんなものと無縁だと思ってた自分がその片鱗を体験できたので、世界がまた広がった。

#asianplop2026 に提出した論文について、解説しました。「形骸化」のような状態になる力学を場の中で観察するための見方として、感応状態パターン(Felt State Patterns: FSP)という「気づきの言語」の提案です。いろんな現場の人と対話して育てていきたいです。

note.com/kkd/n/n63…

年末から論文をMDで書いてて一通りできたから指定の形式のTeXに自動的に変換しようとしたらうまくいかなくて、Wordの指定テンプレに自動変換しようとしてもスタイルがうまくはまらずに、時間を浪費してる。LLMにMD食わせたらTeXに変換できるのは確認したのだけど、スクリプト化しようとするからハマるのかな。AIに頼ってもうまくいかないことはまだまだあるね。

年末はしっかりと自分に向き合った(大掃除)。細かいところまで意識を向けておくのは大事だなぁ。つい目を背けて逃げたくなる。