コンテキストが変わったら、そのコンテキストに合ったものに変えていかないといけない、ということだろうなぁ。どの時代も何かを心の底から渇望していて、そこにハマったものが時代を作る。自分の時代は技術卓越だけでは到達しない「作ったものが誰かの役に立つ・ムダにならない」「意味・価値のある仕事」への渇望の先にアジャイルマニフェストがあった。今の時代は何を渇望しているのだろう?ここは世代の象徴的なものがあるはず。20−30代の人がその答えを持っているのではないかな。

妻の会社で社長がメールやめてTeamsに全部集約しろと号令かけて全社騒然としてる話を聞いた。Teamsもslackもチャンネル整理や投稿が流れてしまう問題に対応しないとカオスになるので、メールと使い分けてたみたいだけど、それを禁止されるとどうなるのか。混乱が予測できるから対応は考えられると思うが、それを千万単位の規模でやるのはちと無謀。メッセージングとITSとの使い分けみたいな文化がない会社はだいぶ大変そうだ。

25年前からずっと変わらない建築や製造業のメタファー、生き残ってる理由は何なんだろうね?

サピアウォーフ仮説もBDDの頃から言われてるんだけど、パラダイムがなかなか変わらないのはほんと実感してる。

x.com/kkd/statu…

イクサガミは、どうしても途中で寝てしまうのは、デスゲーム系には元々あまり惹かれないからだろう。まぁ世界で人気らしいし、グラハ同様に岡田准一が主演と企画とアクションプランナーやるというソースとして新境地開いてるので盛況で何より。役割など超えて、情熱で新境地切り開く人が増えるのはいいね。

グラスハートについて勢いで1人で語ったグダグダ録音動画を思いつきでyoutubeにアップしたのだが、なぜかそれなりに視聴されて評価されているのは、佐藤健ファンのおかげなのだろう。あまりに滑舌悪くて酷いので字幕をつけざるを得なかったのだけど。

「こうあるべき」を押し付けたくなる気持ちはわかる。「こうした方が、より効率的なのに」とか「その間違ったやり方で試行錯誤するのが無駄だ」とか。さらに「なんでわからないのか」というイライラ、相手を見下してしまう「オレの方がわかってるのに」というマウント、「なんで、オレよりも劣っているやつの方が人気があるんだ」という嫉妬、などいろいろ。ここの内面に向き合えると、ただ「自分が信じるやり方を、人と比べることなく、淡々と自分として伝えていく」ことしかないのだと気づくだろう。相手を貶め、否定に費やすエネルギーを、ただ自分の表現に注力させればいい。人を攻撃するのは、自分の本来やりたいことに全集中できてない証拠なんだよなぁ。

絵や文学のようなものについても「好きに見れば良い」「好きに楽しめば良い」という視点を否定して「こうあるべき」を押し付ける権威的な人がいる、ということに正直驚いた。

これはパタン・セオリー的に言うと自分の「感じる」ものを否定して、「知識」や「権威」に沿ったものを「よし」とする「感性を殺す」見方と感じます。

知識は便利な道具として使えばいいのだけど、知識に囚われると「感じた」ものを抑圧することになります。こうやって「感じる」ことを忘れて「知識との答え合わせ」しかできなくなる。気をつけてください。

先月開催した湿地ビオトープの観察会が取材された番組の動画が配信されました。インタビューもありますが、子どもたちから「普段と同じ」と笑われましたw この豊かさを体験してほしい。。。。

youtu.be/-h6bk2KUl…

観察会当日のレポートはこちらです。

youtu.be/-h6bk2KUl…

ジョン・サイクスといえば、音楽の趣味が微妙に違う妻と付き合い始めた時に、『Blue Murder』だけお互いに凄い好きだということがわかり、以降共通の話題になったのを思い出した。追悼の意味を含めて久しぶりに聞いている。www.amazon.co.jp/Blue-Murd…

今頃、今年の1月にジョンサイクスが亡くなったの知った。ガンだったのかー。一度だけライブ行けたのはほんと良かった。ギターも歌声も好きだった。殿、安らかに。

www.udiscovermusic.jp/columns/i…

先日、内子の御祓の里で「棍棒飛ばし」を体験したが面白かったので、是非マイ棍棒を自作して、やってみたい。飛ばした時の掛け声「ナイスコンボー!!」が好きだ。 project.nikkeibp.co.jp/mirakoto/…

『匿名の恋人たち』は、それぞれが痛みを抱えつつも、それを「ないこと」にせずに、「痛みを抱えるそのままの自分」でいいし、それをお互いに受け入れられる関係性の尊さを描いたという意味で、とても今の時代にあったドラマだった。

ものづくり的にも「心を込めて」の意味、プロセス全体に関わる人々の想いが繋がって1つになり顧客に届くという意味で、とてもアレグザンダー的だった。価値が流れるんじゃなくて、愛が流れるんだよ。作り手は、それを信じて作るんだよ。

志尊純が主役を務めたフェルマーの料理を見た。この作品も孤高の天才が仲間を見つける話だったというのにグラスハートとの繋がりを感じざるを得ないなぁ。

先日のTenblankのファンミの動画は男性陣のファンが撮影した動画が圧倒的に多く、後方に配置されたドラムということもあって、宮﨑優さんにフォーカスしたものがなかったのですが、こちらの動画は優さんをアップで映していて、表情やスティックさばきを堪能できます。楽しそうに叩いている様子、時折見せる真剣な表情が素晴らしいのでオススメ。

youtu.be/1A1ZNdkxL…

#TENBLANK #グラスハート

「すべてのコードは負債である」という認識を持ちつつ、それでもなお必要なところだけコードを書かないと「生成AIでコードいくらでも簡単に生成できてヒャッハー」というVibe Codingの世界観の枠のなかでどんどんコードが肥大化して泥団子が出来上がり、最後どうにもならずビッグバンが起きてシステムが破綻しそう。この根本の腹落ちが不可欠なので、これからは「コードは負債」を如何に早期に腹落ちさせるかが重要なのでは。

頼まれもしないのに、次から次へと試したいアイデアが勝手に湧いてくるのが、その人がその時本当にやりたいことなんだろう。アイデア自体はさほど重要ではない。「うーん、うーん」とひねり散らかしてなんとか押し出すアイデアも、アイデアそのものよりも、その極限まで絞り切る体験が大事なのだろう。いずれも、その人がどんな体験をしているかが重要で中身はさほど重要ではない。

言葉は「ラベル(シニフィアン)」であり「中身(シニフィエ)」は別にある。「中身」をよりよく表現するための「ラベル」は重要であるが、文化によってその「ラベル」は変わる。「ラベル」にとらわれずに、相手の言葉の「中身」をわかろうとし合う交流こそが大事だなぁ。

生成AIの台頭で、『パタン・セオリー』で書いているように、専門家(アーキテクト)の職能は、職人としてのスキルを持ちつつも、利用者(当事者)が参加型で自ら創造できるように人をガイドすることがメインとなる世界観がやってきた。そして関係者にのみならず世界の「生命」を輝かせるために奉仕する。

StudyPlusで自分で教材をQRコードで登録して記録できることをようやく知った。これで練習がますます捗るぞ〜。

Kindle Direct Publishing の仕様が変わったのか、約一年前に入稿してOKだった原稿が、今アップするとエラーになってしまう。凄い困ってる。。。原稿を今はいじれないので余計に困ってる。

SUUNTO Race 2が発表されたが、同時に発表されると思っていたVertical 2が発表されていないのなんでだろう? 個人的にはAMOLED版のVerticalを待っていたのでそっちがほしいんだけど。といっても膝を痛めていて走れないので買っても宝の持ち腐れになるかもしれないが。apac.suunto.com/ja-jp/pro…

『グラスハート』は演者自らの演奏に驚いたのだけど、マネージャ役やってた唐田えりかさんが主役やってた『極悪女王』もプロセスを自ら演じていてその本気レベルに感銘を受けていたのを思い出した。どちらもNetflix制作なんだな。予算持ってるというのが強いのかなぁ?

グラスハート見たが凄かったな。みんな練習して演奏吹き替えなしなんか。何より佐藤健の執念が一番凄いと思った。本気が周りを変えていったのかな。妻は原作ファンなのでドラマ化した事自体を賞賛していた。

ネットが繋がらないところに宿泊してたら、スクラム&XP祭りのプロポーザルだし忘れてた。あららー。

パタン・ランゲージの最大事例を描いた『小さな美しい村』の読書会が開催されるというので参加してみた。デザイン前段の序章となる1章から内容が濃くて、書籍化の過程で何度も読んでるはずなのに、改めて重要なポイントを参加者と整理することができました。言語化以前のふわっとしたイメージが、自身で自覚し、腹落ちし、言語化できて、他者に伝えられる明確なビジョンに発展するまでのプロセスでした。本はこちら→ amzn.asia/d/8yNWMb7