AmazonKDPで出版した本は、Amazon以外で販売しても問題ないそうです。『パタン・セオリー』を一般の書店にもおいて頂けると嬉しいのですが、個人で経営してる本屋さんとかで置いてくれるところ、どうさがせばよいのかな。。。

平穏や豊かさは「ある」に着目することで生まれるので、「ない」に着目し続けるといつまでたっても平穏は訪れない。「ない」に着目し問題を探して解決しようとするマインドセットでは、「今ここ」の平穏さを一生得られない。これは個人の幸せについても同じ。「ある」に着目せず「ない」に目を向け続けていると、究極的には宇宙へ資源開発という話に向かっていく。地球は必要なものをすべて与えてくれているのにもかかわらず。本当にやるべきは「ない」を探して解決しようとすることではなく、「ある」を見つけ慈しみ活かすこと。

TDDもアジャイルもパタン・ランゲージもどれもそうだけど、最初はセンセーショナルな登場をした手法や思想が、時間が経つにつれてどれも意味の希薄化、劣化が進行していくのを目の当たりにしている。薄く広がるのと引き換えに、味深みは消えていき、そもそもから離れていく。オリジンから知ってる人間としては「そうじゃない」「大事なのはこれなんだ」というのを伝え続けたいというものが湧いてくる。その時に、「そうじゃない」って現状を否定するのは単なる意味の押し付けであり、現状に至るまでの進化や欠損部分も含めて受容しながらも、こぼれ落ちてしまった大事なことを拾って伝えていくのが、おそらく方法論・思想のエヴァンジェリストとして重要なのだろう。

『チ。』を読んでると、アジャイル黎明時代の活動を想起する。フベルト、ラファウ、バデーニ、オクジー、ヨレンタが、各地にいて少しづつ繋いでいった。人は死なないけどね。

パタン・セオリー、アレグザンダーに関するアドベントカレンダーを作りました。

パタン・セオリーの感想、はたまた疑問、なんでも書いてみてください。私も沢山書くぞ!

adventar.org/calendars…

俺、今年こそは、パタンセオリーのアドベントカレンダーやるんだ。。。自分に言い聞かせておる。

弱いのを隠すように、強いのを隠してしまう人もいる。強すぎるが故に、力を出すと人を傷つけてしまうと思い込んでる人は、本来の自分を隠すことで、周囲に合わせようとするが、毛穴から強さが滲み出ていて、相手が怯えたりするし、本人の力強さを抑圧して力を発揮できなかったりする。本当に、人の内的世界は様々であり、共通しているのは「ありのままではいられない」という恐れがあること。

ポンコツ度合いをさらけ出せるかは、一つの関係性の度合いとなるだろうな。強くあらねばではなく、弱くてもいいじゃないを出し合える。

久しぶりの三津浜の鯛めし 鯛やにて。古民家をの維持してるの凄い。県外から人来たら連れて行きたいお店の筆頭。

今日の松山の雨はなかなか凄かった。うちのあたり(南部)でも警報なってたので午前中はうるさかったな。まぁ、川の氾濫も土砂崩れもほとんど起きないところなので基本安全なのですが、他県の人から見たら心配だよね。気にかけてくれてありがとう。

盈進学園の建設のエピソードを読むと、アレグザンダーが日本人以上にその精神性を大事にしていたということがよく分かる。これはつまり、利用者があるドメインに対する無意識に失ってしまった精神性をも理解し、それを彼らに逆に突き返し気づかせるということ。あるドメインに対する「センター」をどれだけ理解しようと務めるかという点は、宮大工が寺社仏閣を作る際にその精神性を理解しておくことに等しい。単純に「機能するなにかを作って終わり」「合理的に事をなす」が仕事と思ってたら、この領域には到達できないだろう。

盈進キャンパスの当時理事長の建築の話を読んでいるが、これは凄い。。。これは施主というか顧客側の立場の人が読むべきものだ。施主視点の記録と建築家視点の記録が残ってる事例って実は珍しい凄いことではないのだろうか。

なにかの「生命の質」を感じるとるためには、常識とか価値観の囚われから離れて「曇りなき眼」で物事を知覚しないといけないのだろう。その微細な「感覚」を感じ取れるか?それをなかったことにせずに受容できるか?その感覚を信頼できるか?すべてはそこにかかってくる。

あるがままの存在が完璧であり美しいと目覚めることができれば、きっと周りのすべての存在が輝いて見えるのだろう。周りの存在が欠けていて不十分だと見えているならば、きっと自分が自身を欠けている存在と見ているのだろう。いつかすべての存在が輝いて見えるようになる日が来るのだろうか?

20km走の後、シャワー浴びて少し休んでから飲み会に向かう。やや眠い。。。本来ならフルマラソン走ってた予定なのでまぁよしとしよう。

自分の恐れは、自分が懸命につたえたことを「はぁ?」という反応返ってきてわかってもらえてないという認知への恐れ。これを回避するために「どうせわかってもらえない」と最初から諦めるか、なんとか伝えようとこねくり回して複雑化して余計に伝わらない、というもの。考えすぎずストレートに感じたものを言葉にして伝えるというのがやりたい。こねくり回してしまいがちだが。。。

『パタン・セオリー』のボツにしたあとがきを公開しました。なぜパタン・セオリーを翻訳しようとしたのか、パタン・セオリーと、ザ・メンタルモデルとの関係についても書いています。どちらも「生命」を扱う技術と捉えています。

note.com/kkd/n/n51…

下取りに出したiPhone 13 Pro、当初見積もりは5万超えだったのに、本体送って返ってきた金額は100円。「ディスプレイが欠けていた」そう。修理して売ったほうがいいかもしれないので返却してもらうことにしよう。なんかがっくり。

ChatGPTとPerplexityつかって某試験の過去問を問いてるが、やっぱり答えがどちらもサラッと嘘まじえてくるので人力検索から解放されない。鵜呑みにするとホント危険。Perplexityは最新のネットから情報拾ってくるしリファレンス出してくれるからもう少しマシかと思ったけど試験勉強的には期待外れ。もちろんプロンプトをカイゼンすればもう少しよくはなりそうだが量をこなすのでそんなに打ち込んでられないんだよね。

いわゆる付箋やカード使ったデータ分析やKJ法みたいなことやるのに、VUE(Visual Understanding Envrionment)がやっぱり手触り感最高なんだよなぁ。見た目はJavaアプリなのでしょぼいしコラボレーションもできないけど、一人KJ法みたいなデータ分析するには使いやすいんだよなぁ。これのWeb版かモダンアプリ版があれば最高なんだけどって10年くらい前から言ってるかも。最近だとこれ系(コンセプトマッピング系)なにがいいんだろう?テキストエディタはObsidianとかVSCodeとか定番になってきたけど、これ系は決定版って知らないなぁ。vue.tufts.edu

ウイングマン実写版のドラマみたがこれは格好いいわ。このクオリティは仮面ライダーに匹敵するし、桂先生のセンスは時を越えるなぁと改めて実感。この企画した人に賛辞を送りたい。そういえば中学生の時にウイングマン好きでよく変身ポーズやってた同級生はこれ見てるかな!? www.tv-tokyo.co.jp/wingman/

『パタン・セオリー』はKDPで出版したので一般の書店には置いていないのだが、置かせてくれる書店はないだろうか?池袋ジュンク堂とか丸の内丸善とか、個人でやってる書店とかで販売してもらえると嬉しい。

感じたことをすべて言葉にするのはとても無理だ。だから言葉がすべてを物語っているとは考えてはいけない。常に言葉はラベルであり、その奥には豊かな言語化できない感覚空間が広がっている。他者の言葉の裏のそれらを感じ取ろうとすることが、本当の共感であり、想像力であり、コミュニケーションではなかろうか。

新卒の初年度くらい参加して、後に日経コンピュータの人気連載『動かないコンピュータ』に掲載された、某銀行向け営業店システムのことが書籍版の「動かない〜」に乗ってないかなと古本買ってみたが、乗ってなかった。多分新卒1年目だから1995-6年くらいのはずなんだけどなー(本は2002年出版)。某銀行の支店にクラッシュしたOSのカーネルダンプをDATに保存して持ち帰り、解析チームに渡すという地味な仕事をしていた。そのために大阪に行ったこともあったなぁ。どうやって見ればいいんだろうか。。。

テイヤールドシャルダンの紹介本を読んでいるが、まさに科学と宗教を咀嚼して統合した人んだなぁというのがよくわかる。『現象としての人間』以外の著作は入手しにくいのが勿体無いな。 amzn.to/3UhDPr9