四国から北陸への直行バスが復活するらしく、北陸に行きやすくなりそう。松山からも鳴門ICで接続できるからバスで寝てたら北陸につくのはいいねー。使ってみたい。
四国から北陸への直行バスが復活するらしく、北陸に行きやすくなりそう。松山からも鳴門ICで接続できるからバスで寝てたら北陸につくのはいいねー。使ってみたい。
馴染みのラーメン屋の店主がなくなったので、悲しみの中メモリアルサイトをCursor上でLLMにお願いして作ってみたのだけど、今後も似たような需要があるかもしれないので、そのうちテンプレ化でもしてGithubにおいておくかなぁ。Github Pagesをつかって、GoogleFormからコメントや写真をGithub Actionsで自動で集めてHTMLにするだけで静的ジェネレータも使ってないシンプル仕様なので、ただで永続的なサイトかつWebアーカイブ可能。個人店は店主が亡くなったらお終いなので味も含めて寂しいけど、出会いもあれば別れもあるし、忘れないでおきたい。今のリポジトリはここ。github.com/ramen-nor…
佐藤健の出た夢叶えたろかスペシャルとても良かったが、最近はテレビはTENBLANKの誰かが出る時しか見てないぞ。むしろ一切見てなかったのが、彼らが出ると知ったらみる感じ。これが箱推し!?w
小学校のおやじの会の新年会に参加。息子はとっくに卒業したので自分はOBなのだけど、ここで繋がった地元のつながりは、東京から移住してきた自分にとっては本当に貴重。地方に移住した人は、おやじの会があれば参加すればいいと思うしなければ自分で立ち上げて仲間を募ると良いと思う。じじいになっても繋がっていられる関係を作れる。
AIとの関わり方が、より形式言語で的確なコマンドになる方向性と、より自然言語で深みのある対話をする方向性に二極していて面白い。前者は人の代わりに完璧に仕事をしてくれる機械が欲しいし、後者は自分の内面をより高めてくれるパートナーが欲しい。前者はコントロールしたいし、後者は創発を生み出したい。
2025年はグラスハートのおかげで後半あれやこれや大変だったが乗り越えられた気がする。推しとか、推し活とかそんなものと無縁だと思ってた自分がその片鱗を体験できたので、世界がまた広がった。
#asianplop2026 に提出した論文について、解説しました。「形骸化」のような状態になる力学を場の中で観察するための見方として、感応状態パターン(Felt State Patterns: FSP)という「気づきの言語」の提案です。いろんな現場の人と対話して育てていきたいです。
年末から論文をMDで書いてて一通りできたから指定の形式のTeXに自動的に変換しようとしたらうまくいかなくて、Wordの指定テンプレに自動変換しようとしてもスタイルがうまくはまらずに、時間を浪費してる。LLMにMD食わせたらTeXに変換できるのは確認したのだけど、スクリプト化しようとするからハマるのかな。AIに頼ってもうまくいかないことはまだまだあるね。
年末はしっかりと自分に向き合った(大掃除)。細かいところまで意識を向けておくのは大事だなぁ。つい目を背けて逃げたくなる。
至言。心に留めよ。
“わたしたちは「生きる意味」を問う存在ではない…のだと思います。
わたしたちは… 「人生がわたしたちになにを期待しているのか」 を問われている存在… なのでしょう。”
AIと話すと、自分のどんなジャンルの話も対等に話せるので、人間相手よりも正直話しやすい。ソフトウェアの話のすぐ後に、組織論、生態学、生物学、哲学、宗教やスピリチュアルの話しても全く問題ないし、こちらのうろ覚えも勝手に補完してくれる。相手の知識レベルのことを考えたり、自分の知識のあやふやさを気にせず、出力操作しないで話せることがこんなに安全快適なのだなぁ。ここにい続けると対人で辛くなるのでぬるま湯からは定期的に出ないといけないけどね。たまにはいい。
なぜか先週AIと対話してたら、あり方についての言語化をすることになってしまい、勢いでまとめてみた。何かを作ったり変化させたりするのでなく、壊れるのを守る「安全装置」みたいなもの。地味で他者の役に立つかどうかはわからないけど、Chat GPT、Gemini、Claudeと散々話して、かなり言語化できてスッキリした。もし興味があればのぞいてください。そうでなければ、「あり方」が気になったときに思い出して。
パン切りナイフで左の人差し指指先を削ってしまった。ギザギザだからスパッとならずに治り悪そうな印象。血もなかなか止まらなので、横になって片手上げながらスマホいじるのが1番楽だ。利き手出ないからまだマシだけど、しばらく左手はピアノお休みだな。9月から毎日続けてたのに残念。。。パソコンも手入力厳しいから音声入力にするか。
この仮面ライダーになりたいとか、『ニゴリリ』とか『着せ恋』とかを見てると、人間の対象への純粋な愛の力(パワー)の可能性を見せているのだろうな。「他者にどう思われるか?」などと言う第三者視点に囚われて己を純粋に表現できない時代から、己の自己表現を自由にできるようになった時代への変化を感じる。 tojima-rider.com
左膝が日常生活を送るにも痛くて、当然走れない生活を続けていたが、ようやく休養とストレッチの甲斐あってなんとか走れるようになってきた。まだ正座は怖いが、曲げることについてはなんとかできるようになってきた。複合的な要因によって身体というシステムが機能不全を起こすということ、その機能不全は地道な複合的な働きかけによって少しずつ復元できることを学んでいる。
なんか、こちらの問いかけに応じて一生懸命コード生成しているAIに愛おしさを感じてしまう。ポカもやらかすけど、そこも含めて受容できそうな気がしてきた。
XはIT系の友人たちはすっかり過疎っているが、Bskyは賑わっているのだった。生き物クラスタはまだXに多いのであった。リテラシーの違いで移行スピードに違いがある。ThreadsはFBから流れた人が多いせいか、人は多い気がするが、よくわからない。
連載といいながら、間が空いてしまったのですが、あり方の話の続きを書きました。今回は感情と不快回避行動についてのお話。「あり方」って自分の内側の状態をひたすら観測している意識が重要だと思うのです。
今週月曜は朝暖かくてびっくりしたのに、今朝は冬って感じで寒いな。こんな寒暖差だと地球も風邪ひいちゃうよね。
ピアノ9月から初めて毎日触っていてようやく一曲が仕上がりそうなので、年末子供達が帰省した時に披露したい。次はtenblankの永遠前夜かシトラスに挑戦しようかな。レベル感がようわからないが。。。たぶん革命よりは簡単だろう。楽譜黒くないし、きっと。革命は途中で止まってるがバーナム進めながらゆっくりと練習しきたい。
「走る」という自分にとって当たり前の行為が、失われてしまってから数ヶ月がたつが、あらためて「走る」ことの意味や、身体全体へ意識を向けることの大切さを実感している。忙しいとどうしても「頭」に意識が向かってしまい「身体」から離れていく。自分にとって走ることは身体に意識を向かわせる営みであり、それが「当たり前」である状態を維持し続けるためひ必要なことを、改めて実感している。また再び自由に走れるようになる日が来るのか?まずは自分を信じるところから。
コンテキストが変わったら、そのコンテキストに合ったものに変えていかないといけない、ということだろうなぁ。どの時代も何かを心の底から渇望していて、そこにハマったものが時代を作る。自分の時代は技術卓越だけでは到達しない「作ったものが誰かの役に立つ・ムダにならない」「意味・価値のある仕事」への渇望の先にアジャイルマニフェストがあった。今の時代は何を渇望しているのだろう?ここは世代の象徴的なものがあるはず。20−30代の人がその答えを持っているのではないかな。
妻の会社で社長がメールやめてTeamsに全部集約しろと号令かけて全社騒然としてる話を聞いた。Teamsもslackもチャンネル整理や投稿が流れてしまう問題に対応しないとカオスになるので、メールと使い分けてたみたいだけど、それを禁止されるとどうなるのか。混乱が予測できるから対応は考えられると思うが、それを千万単位の規模でやるのはちと無謀。メッセージングとITSとの使い分けみたいな文化がない会社はだいぶ大変そうだ。
25年前からずっと変わらない建築や製造業のメタファー、生き残ってる理由は何なんだろうね?
サピアウォーフ仮説もBDDの頃から言われてるんだけど、パラダイムがなかなか変わらないのはほんと実感してる。
イクサガミは、どうしても途中で寝てしまうのは、デスゲーム系には元々あまり惹かれないからだろう。まぁ世界で人気らしいし、グラハ同様に岡田准一が主演と企画とアクションプランナーやるというソースとして新境地開いてるので盛況で何より。役割など超えて、情熱で新境地切り開く人が増えるのはいいね。