娘が今年入った会社の新卒研修でオブジェクト指向とかJavaとか教わっている。今週はJUnitも教わるそうだ。「娘が生まれる前からオブジェクト指向で設計しJUnitを使ってTDDしてた」んだけど、まぁ会社の研修資料はなかなか充実していてよさそうだし、講師にわからないところをガンガン質問して聞いてるみたいなので、このまま進んで欲しい。しかし、子どもに一切プログラミングとか教えてない(素振りを見せたが興味を持たなかったのでやめた)のに、こういう道に進むのが面白い。
娘が今年入った会社の新卒研修でオブジェクト指向とかJavaとか教わっている。今週はJUnitも教わるそうだ。「娘が生まれる前からオブジェクト指向で設計しJUnitを使ってTDDしてた」んだけど、まぁ会社の研修資料はなかなか充実していてよさそうだし、講師にわからないところをガンガン質問して聞いてるみたいなので、このまま進んで欲しい。しかし、子どもに一切プログラミングとか教えてない(素振りを見せたが興味を持たなかったのでやめた)のに、こういう道に進むのが面白い。
やはり、猪木はいいなぁ。多分見てる世界がプロレスより一段高いからかな?
昔からBIなら断然猪木なんだけど、ONなら長島でなく王なんだよな。感覚派という意味では長島になると思うんだけど、なぜ王なのか言語化できてない。現役時代知らないのに、ONの世界とか本借りて読みまくってたなぁ。
「ムダ」って言葉、使わない方がいいかもな。ムダなんて、本当はないんだけど。ムダという言葉は極端な合理主義を喚起する気がする
最近みつけた『モノクロのふたり』がなかなかよい。劇中の挫折シーンがこれまであまりないが、「自分らしさを活かす」という意味で今っぽいのかもしれない。 shonenjumpplus.com/episode/1…
「みんな違って」と「みんないい」をANDにできるかが鍵なんだけど、「理解できないから嫌だ」とか「こっちはいいけど、そっちはダメ」とかで「違い」を超えられない。一番超えられてないのは「自分はありのままではいけない」という自己否定から生まれているのだが、このことを自覚しない限りは超えられない、というのが自分の体験からの仮説。
うーん、今年はいろいろな意味で人生の転機なのだなぁ。物事が大きく変わり始めてる。。。いいこともわるいことも。。。
できないことを叱責したり批判するのでなく相手が「そうせざるを得ない」状況を想像し、自分をなくして共感することができるかどうかが鍵。「誰から何かをできない」ことに自分が反応しているうちは共感はできない。
自分はたまに「哲学的」と呼ばれることがあるんだけど、哲学苦手なのでしっくりこないんだよなぁ。個人的には実践の体験からの学びと、知識との結びつきからくる気づきだったりを言葉にしてるだけなんだよなぁ。
ChatGPTによると「哲学は単なる抽象的な思索だけでなく、「どう生きるか」「何をなすべきか」に関わる実践的な知でもあります」とあるのでずれてはいないけど。
デスクトップのMacにつなげていたWebカメラが壊れたので、新しいのを買ってみた。思えばコロナ前からリモートワークやるために買って使っていたので、もう10年近く経つのかな?よく動いてくれました。
つい、成功事例を求めてしまう人は、自分の感性を信じることができない、誰かのお墨付きが欲しい、自分で説明できない、自分でやってみるのが怖い、という恐れが根っこにあるということに自覚的になってみよう。
その昔は「電波」「ポエム」と呼ばれていた表現たちは、感性で捉えたものを、なんとか他者に言語で伝えようとしていた。たとえ、その時は論理的には説明できなかったとしても、感性で捉えたものを信じて伝えようとした努力の証であった。感性で捉えたものは時を超える、というのが自分のいまの仮説というか結論。
明日の夜に、『小さな美しい村』で取り上げている、パタン・ランゲージの事例である東野高校の建設から、AI時代のプロダクト開発に何が役に立つかを考える講演を行います。40年前の事例ですが、そのエクストリームぶりにはきっと皆さん驚くはずです。たっぷり時間があるので、質疑応答なども含めて皆で一緒に考えることができればと思います。まだ参加登録できますので、夕飯食べながら気楽に聞いて頂ください。
試しにAIに完全お任せで、Rubyでエイプリールフールネタを作ってgemに登録するまでやってみてわかった、AIによるコード生成と成果物への自信の関係性についての気づき。
昔の写真を探していたら、フォト蔵に保存されているのがわかったので、オリジナルの写真をDLすべく、既存のDLツールをQuickHackしてローカルに落とせるようにした。 Optparse使ってオプション指定できるようにしたいが、まずはここまで。
『サチ録』が終わってしまった。娘に勧められて読んで好きになったのだが、こういう優しい世界のテーマの作品は、今の世界に必要なのだろうな。努力、挫折、勝利、友情みたいなのではない、種を超えた愛がテーマの作品。
『パタン・セオリー』と『小さな美しい村』で、複数人によるKDPを使った書籍製作のナレッジがそれなりに溜まったのでまとめてみたい。本の作り方が変わるんじゃないかな。
思えばRubyKaigiのDAY0は、強烈なめまいで半日横になっていて午後は病院巡りをしていたのでした。おかげで前日準備は一切なにもできず、当日オペレーションも何もわからないままでしたが、会期中は何事もなく(無理もしなかったのもあるが)終えることが出来た。昨日夜横になっていて、相変わらず軽いめまいがしたが大丈夫かな。そういえば薬飲むの忘れてたなぁ。 #rubykaigi
自分は、20年近く、ベランダのプランター菜園から始まり、庭の菜園、市民農園、耕作放棄の畑、休耕田とステップアップして、野菜や稲作やらを一通り自分で体験してきたので、市場に出回る野菜や米が、何が簡単で、何が難しいか、できること、できないことが、大体わかるようになった。これからの時代、一人ひとりが自分の食べるものがどうできているかを、一通り知っておいた方が良いと思う。
ああ、自分は「人間中心」から「生命中心」にシフトしたいんだな。「生命中心」という言葉でいろいろしっくりくるし、自分の行動の源泉のすべてが表現できている。
気づいたら、庭のニラやらアスパラやらノビルやらヨモギやらがわさわさ生えていたので、これから春の味覚を楽しむ時期に入ったなぁと改めて気づく
来週の松山で開催する、RubyKaigiのDAY1に『「アジャイル式」健康改善ガイド』、『パタン・セオリー』のサイン会をおこないます。そして、DAY3に、できたてホヤホヤの『小さな美しい村 クリストファー・アレグザンダーと夢見た、理想の学び舎建設記』のサイン会も予定しています!どうぞよろしくお願いいたします〜。
ネタかと思ったらパイナップルの皮の高熱耐性ってすごいんだなぁ。これで耐火スーツ作れるのか?
自分は具体的な技術や技法より、その裏にある原理原則や、さらにその裏にある価値観や意識の状態に惹かれるけど、かと言って具体がない状態でそういう話をしても全く刺さらないし、具体経験ない状態では真の意味で理解できないので、これもその人それぞれの体験なんだなって理解してる。
KDPの入稿後の審査でエラーがでて、対応して再度アップしているが、ファイルサイズが大きいのでなかなか処理が進まない。シンプルなサクッとした書籍にしようと当初は思っていたのに、終わってみると無茶苦茶手間がかかっていて「どうしてこうなった」(いい意味で)と思う。これからの人生で、辛いことが起きたり、何か重要な決断しなければならなくなった時に、きっと自分はこの本のことを思い出すのだろうな。それだけのインパクトがある本だった。