なぜ大事? SDH(健康の社会的決定要因)の視点 千葉大学教授・近藤克則さんに聞く – 全日本民医連
もうひとつは、「ハイリスクアプローチの限界」です。健診などで高リスクの人を拾いあげても、その行動を変えることは難しいと分かりました。「病気になっていない人たちへの健康指導は効果がない」というエビデンスも出ました。
ハイリスクだけは人は動かない。
なぜ大事? SDH(健康の社会的決定要因)の視点 千葉大学教授・近藤克則さんに聞く – 全日本民医連
もうひとつは、「ハイリスクアプローチの限界」です。健診などで高リスクの人を拾いあげても、その行動を変えることは難しいと分かりました。「病気になっていない人たちへの健康指導は効果がない」というエビデンスも出ました。
ハイリスクだけは人は動かない。
コンマリがルールによる片付けだとすると、セシリアのは形態のパターン(パーマカルチャー原則)による片付けだなぁ。トヨタの5Sの影響もうけてるみたいなのでそこも面白い。
セシリアの冷蔵庫片付けはルールではなくパターン(エッジ効果)でできてる。美しい冷蔵庫とはこれ!! Permaculture’s ‘Edge Effect’ for a Decluttered, Delightful Fridge
をNotionの記事が!と思ったら、@0310lanさんの記事だったw bit.ly/3oTi9iH
表現することと行動することは等しい。行動が表現であり、表現が行動であり、生き様こそがその人の表現であるとするなら、生きてきた軌跡の結果であるその人こそがまさに表現なんだろうね。悩み苦しみもがき足掻いてきたプロセスの積層こそがその人の表現(=アート)なのかもしれない。
ScrapboxとNotionでは使い分けができそうだが、Notionをまだよく知らないので使い分けできないなぁ…
多くの問題は人が感情・感覚を抑圧したりして使い方を忘れてしまったからではないかと感じる。技術に依存し感情・感覚という自身の測量機械を使わなくなったせいとも言える。感性と論理の両刀遣い、どちらかではなく両方を50:50で使うように訓練する必要があるのだろうなぁ。
結局の所、自分がずーっと興味をもってきたのは「いのちをどうやって育むか」「いきいきとさせるか」というところに帰結しているということに気づいた。生き物、ソフトウェア、チーム、環境、自分自身、社会、子供、etc… 最終的にその向かう方向はどれも同じだなぁ。
「改善しないといけない」というのも「ありのまま」を見れていないことで「何かが欠損している」という評価判断していることになるのかな。「このままではいけない」と感じるのを「そうなんだね」とみていることができれば「ありのまま」だけど「なにかしなくては」となるとそうではない。
「ありのまま」をうけとめるということがどれだけ難しいかという話を聞いている。何かが足りない→次になにをしなくちゃという時点でありのままを見ることが出来ていない。評価判断を保留することができていない。
外部環境に合わせるだけでは環境適応とは真の意味ではいえず外部環境に合わせる前に自身のいのちに目を向けなければならないのではないか。つまり内へと目を向けろということ。内面を見ないまま外界ばかり目を向けていても本当の意味で「生き切っている」ことにはならないのではないか。
過去に決めたことを状況に応じてその時点に適したことに変更しないというのは「意志貫徹」なのか「変化不適合」なのか?
イオンのイートインスペースで歌の練習してる女性はかなりカオスだった。そりゃ音楽店内に鳴り響いてるからそれほど気にはならないけど、どこから音がしてるのか気になって探してしまった。
M1 Macは来年に持ち越しにして年内にグラベル買おうかな。四国横断企画の準備をしよう。。。
どうやら論理データではなく物理データが我が家に届いたそうなので長女の受験は一段落したみたい。自己隔離してまで東京に行った甲斐があった。これで年末年始はのんびり迎えることが出来る。後は自分の仕事くらいだ(!?)
しかし続々と周囲がM1 Mac手に入れてるなぁ。長期出張の予定がなくなったので当座急いで入手する必要無くなった。MBA16より速いと聞いて心惹かれる部分はあるがしばらく様子見ようかな。
他人(人間)にだけでなく、自然に、生きとし生けるものに、種を超えて、生命を超えて、全ての存在に感謝できるようになるとワンネスに一歩近づける気がするなぁ。うわべではなく心底から。
鍼灸の先生に左の臀部が毎回張るとの指摘があって何故だろうと思ってたが、今日階段ダッシュやってる時に登りの蹴り脚が左に偏っていることに気がついた。試しに右脚を蹴り脚にしてみたが違和感があるのでやはり無意識に左脚で蹴り込んで登っていたみたい。気づけてよかった。
今日は家族にとってとても嬉しいことがあったのだけど論理データではなく物理データが我が家に届くまでは騒ぐことを控えることにしよう。
DIY工房が松山にできたのかー(森松だけど)今度走って見に行こうかな? matsuyama.keizai.biz/headline/…
Micro.blogでつぶやいたことをScrapboxでまとめて説明するページを作ってみた。Scrapboxで解説や関連つけるのはよい。もっと書きたくなればブログにするという運用でしばらくやってみる。scrapbox.io/tkskkd-wo…
何かを自分で体験するよりも体験したことを他人に伝えるほうが難しい。自分が学ぶよりも他人に学んだことを伝えるのほうが難しい。時間をかけて体験し身体に刻み学んだものほど他人に伝えるのが難しい。結局は体験や学びを伝えようとするのではなく他人が体験したい学びたいと思わせることが一番の近道
BORN TO RUNにも書いてあったが女性の方が苦痛に強く身体のフィードバックを適切に処理できる気がしていて納得感ある。知り合いに自分よりも速いお姉様いるしレースで抜かれることなんてざらだし性別年齢無関係 melos.media/training/…
いくら情報を与えても飛び込まない人もいる。そんな時はこっちがまず一人で飛び込んで「大丈夫だよ、安全だよ、楽しいよ」と言って誘う。結局情報や言葉を与えても飛び込まない人には、誰かが先に行動で示して感じてもらおう。
誰もが皆不確実な未来に向かって飛び込めるわけではない。自分はすぐ飛び込めても他の人も同じように飛び込めるとは限らない。その時にどうするか?イライラするのでなく安心して飛び込めるための情報を与えてあげよう。水温、深さ、高さ、流れの速さ、など。Ready to startを満たそう。