台風のせいで前々日入して5泊6日に伸びてしまった長期出張が終わって自宅に帰ってきた。旅は好きだけど生き物飼ってるとそっちが気になるので、息子に世話をお願いしているとはいえ早く帰らないとと思う。その代わりいろいろな人と久しぶりに会う機会が増えたから良かった部分もあるけど。
台風のせいで前々日入して5泊6日に伸びてしまった長期出張が終わって自宅に帰ってきた。旅は好きだけど生き物飼ってるとそっちが気になるので、息子に世話をお願いしているとはいえ早く帰らないとと思う。その代わりいろいろな人と久しぶりに会う機会が増えたから良かった部分もあるけど。
14年前にコーチしたチームにいた若手メンバーが、様々な体験・研鑽を経て、今や組織のアジャイル開発のセンターになっているとの話を聞いて感慨深い。agile-studio.connpass.com/event/326…
最近のアジャイル系の本には、NVCを取り上げてることが多くなってきた気がするな。あまり読んでないからわからんけど。単なるプロセス、テクニック以上のものだし、最終的には自分の無意識領域に向き合う必要があるので、メンタルモデルも併せて学んでほしい。
やる気ない時は、やる気ないに任せておくんですよ。底ついたら上がるから、それを信頼して待つ。無理に抵抗すると、エネルギーも使うし疲れる。
映画を段階的にリリースすることで、何度もファンが見に来る(=何度も楽しめる)という経済効果が生まれる…のかもしれない。もちろんクオリティ妥協しない前提だけど、これはエンタメの新しいあり方!?
日本人がネオテニー度が高い、と言うのは確かに一理ありそうな気もする。
MMRの話読んでたら、ファミコン必勝本の話が出てきた。当時一番読んでいたゲーム雑誌でマニアックなのが好きだった。ファミテニもウィザードリィも女神転生もこの雑誌がきっかけでハマったんだなぁ、懐かしい。
DQ3がHD-2Dでリメイクされるのかー。結婚披露宴でDQ3の音楽流したくらい好きだけど、今やるとまた違ったなにか感じるものがあるかな?無いかもしれんが。。。 www.dragonquest.jp/roto-tril…
熱射病?夏風邪?から回復してきたので、再び夏ランを再開する。体力落ちてるからまずは短めから。月末に50kmのマラニックあるから、その時までにある程度走力を戻しておかないとなぁ。昨年は潮の香りがあまりに不快すぎて美味しく食べ物を食べれる気がしなくて体力はあるのにリタイヤしたから、今年はどんな状況でも最後まで行ってすべてのエイドを食べるつもりでいる。
今日の日向灘の地震で、南海トラフの警戒レベルがかなり高まった感じ。先日妻が防災士の講座を受講してたのタイムリーだった。いつ来てもおかしくないんだよね。自分は東日本の時は愛媛に移住した後だったから大地震のいまだ経験がない。うちの築90年ともいわれる家がどうなるかでまずは生死が分かれそう。
Xの有料アカウントで5万ビューだった投稿(x.com/kkd/statu…)が、ほとんどまともに使ってないThreadsで15万ビューだった(www.threads.net/@tkskkd/p…)のをみて、ほんとXは駄目なんだなってのがよくわかった。
ときどきというか、よく「自分は頭おかしいんじゃないのか」って思うことがある。ひとつのことに集中しないで、あっちこっち手を広げて、そりゃもう大変。ゆっくりと腰を落ち着けて何かに没頭するときもあるけど、そうかと思えば、あれもこれもになる時もあり、その波の振れ幅が凄い。一つのことに収まるととたんに他のことがやりたくなる。こういうのをコントロールしようとするのを手放して、エネルギーの赴くままにしている。それが心地いいか?というとそんなことない。内なるエネルギーがどこに向かおうとしているのか、波に揺られてどこに辿り着くのか、わからない。それでも「よし」とする人生。
『アオアシ』でヨーロッパの育成についての負の部分が取り上げられていた。「すべて真似すればいい」ではなく、合うもの合わないものを取捨選択しながら、今の環境にうまく適合するものを少しづつ取り入れて発展させていくことが重要。仕組みを取り入れる場合はすべてがそう。この原理は『パタン・セオリー』に書いてあるよ。
『アオアシ』でサッカーのヨーロッパの育成システムが優れていることを示しつつも、単に真似するだけでなく、真似してはいけない部分も見極めて日本でやっていく必要があるのを問いているのが描かれていた。「XXXの国ではこうだから、日本もこうすべき」というのが如何に表面的か、よいものは取り入れ、悪いものは除き、合わないものはうまく適合させながらいくという、当たり前だけど難しく時間がかかることを目指すのがやはり王道だと再確認した。
これからの政策づくりはやっぱりGitHubだよなー(もちろん専用システムになると思うが、ベースはこれ)
https://note.com/takahiroanno/n/n3fce136f9003?sub_rt=share_b
元々「生命(いのち)が共鳴する質(生命の質)」を生み出すために生まれたパタン・ランゲージなんだが、いつしか「うまくいく秘訣」をまとめる手法に矮小化されてしまった。歴史的には仕方ないことだけど、これを本来のあり方へと取り戻したい、というのが僕の願いなんだよね。
冷静に物事を分析的に見る人からすると、情熱と勢いで行動する人は勢い任せでノリで動いているように見える。逆から見ると、行動は遅いし熱は見えないしできない理由ばかり作ってビビってるように見える。どちらも真実であり、両者とも学べるものがある。そのためには自分を正当化しないで弱い部分も含めてまず自分を受け入れるところから。相手を非難しても始まらない。
『ガールズバンドクライ』なかなか面白いな。元々ただのリスナーだったのが、きっかけがあって目覚める展開がいい。結局己の内側にある様々な感情のエネルギーを音楽として昇華するんだよなーってのを改めて実感する。自分の場合、内側にある様々な感情のエネルギーを文章にしたりして発散しようとしているのだよな。ほんと世の中はうまくいかないし、思い通りにならない。だからこそ怒りが湧いてくるし、その怒りとは様々な行動のエネルギーなんだよっていつも感じる。
結局のところ「すべての存在はありのままでいいんだよ」という世界を作りたいのかな。今の人の社会は「何者かにならないといけない」「今のままではいけない、成長しなければ」という生存本能に駆動されすぎていて、それが当たり前になってるし自覚もしていないから社会全体として生きづらい。自然界においては「人に害がある、外来種だ、人の役に立たない、見るだけで不快だ」といって人間に存在を認められないものがたくさんある。結局、「ありのままを認められない」のは、究極のところ、ひとりひとりが「自分というありのままの存在を許してないから」いう結論(仮説)に達している。自分が自分に「ありのままでいい」をOKだせれば世界は変る。弱くていい、でこぼこでいい、人の役に立たなくていい、ちょっと変わっていていい、迷惑かけてもいい、と自分自身にOKを出せるかにかかっているのではないか。
パーマカルチャーは人にとっての有用さ・機能を重視するので生物多様性や在来種の概念が足りないし、ビオトープは人のための生産についての側面が少ないので、両者を組み合わせることが不可欠だという結論に達している。
いわゆる生物多様性の文脈におけるビオトープのデザインと、人間多様性における会社組織やオフィスのデザインの類似性や原則はそのうち整理してまとめたいところだなぁ。
『拳児』に出てきた台詞がとてもよい。「学ぶのには上達と下達がある。上達とは、小技にとらわれずに物事の根本を理解すること。 下達とは、小手先の技ばかり集めることに執着して、根本を理解しないことだ。」 価値・原則にまとめるのは上達なんだろうな。
パーマカルチャーの世界で最初の本であり長らく再販されなかった『Permaculture One』が電書(PDF)として買えるようになっています。パーマカルチャーの創始者であるビル・モリソンと、デビッド・ホルムグレンの唯一の共著でもある。us.permacultureprinciples.com/product/p…
スクフェス大阪終わったので、翻訳再開と、先週通知が来たビオトープに関する助成金の申請作業に取り掛かる。翻訳作業の方はレビューワーの皆さんが命をとしてレビューしてくれたので、それに応えられるようにやらねば。ああ、スクフェス大阪の報告ブログも書かないと。資料は公開はせず希望者にのみお渡しする予定です。(登壇時より加筆してます)
全体性の話。“何かを造ろうとすれば、それだけを単独に扱わずに、その内外の世界も同時に修復せねばならぬということである。”