キーボードが壊れると色々面倒だなぁ。常にエース級で冗長性を担保しておかねばという教訓を学んだ。とりあえずMD650Lのファームは更新したのでひとまずはこいつでやり過ごそう。MD770はアーキサイトに問い合わせ投げた。自作KB系はそろそろ始めないといけない気になってきたぞ。

キーボードひとつが壊れると色々面倒なことがわかった。常に冗長性を担保しておかねばという教訓を学んだ。とりあえずMD650Lのファームから更新中。

とりあえずやってなかったMD770のファーム更新でもチャレンジするか。しかしWindowsしか対応してないってParallels上のWindows立ち上げて実行すれば更新できるのだろうかと思って久々にParallels立ち上げたらWin10のアップグレードしないとだった。

どうやら分割キーボード(MD770)の右側がおかしくなったぽいな。左側のUSB−Cに指したら反応したけど、右側のキーが認識されないっぽい。修理ってしてもらえるのか?それとも諦めて比較的すぐ使えそうなKBDを手に入れるか!?

もしや昼休み中にUpdateしたBigSur 11.2.1が問題なのか?いや、午前中はキーボード使えたからそれくらいしか考えられないな。。

MBP16につなげてたキーボードが反応しなくなってしまった。USBケーブル変えてもダメ、SMCリセットしてもだめ、MacMiniにつなげても使えないぞぉ。MISTELの分割キーボードなんだが困ったなぁ。。。。

好奇心旺盛というのも裏を返せばあれこれものを買ってしまい使い続けるのはほんの一握り、みたいになるので良し悪しは見方次第。なので当事者研究の理念にもあるように「“治す”よりも“活かす”」でいきたいね。

加齢で頭皮って固くなるの?うちの奥さんはガチガチだけど俺はユルユルだった。痩せてしまって顔の皮膚が余っていて緩くなっているだけのような気がするけど。「頭がこる」って言うらしいけど美容院の頭皮マッサージを気持ちいいって思ったことないのはそもそも頭皮がゆるいからかもしれない。

娘の大学入学時のパソコン、大学生協から買おうと思ってリストを待っていたのだけどついに来た。予想通りM1のMBAとMBPが含まれていた。どっちにしても俺のMBP16より速いんじゃないの? まぁ生協でのサポートもあるので安心。

ReadCubeのキラーフィーチャーは実は論文検索してそのままライブラリに突っ込める機能かもしれないと思った。自分は別に論文書いてないんですが。

現代社会は食生活ゼロリスクを目指すとストレスやコストが増えてトータルでむしろマイナスになるという点。自分・家庭のいい塩梅の探索が必要となる。添加物、砂糖、精製物の完全ゼロ回避を試みると相当生きづらいのでトレードオフスライダーがあるといい。大事なのは自分の意思で選択するということ。

奥さんと娘が漢検の準一級を受けたのだけど、準一級から上は受かる受からないではなく毎回点数をどこまでで伸ばせるかの漢字マニアの自分との闘いゲームになっていると聞いた。普段から明治の文豪が書いた当時の語彙のままで読んだりするのだろうなぁ。マニアの世界は面白い。

個人の生きづらさを客観視して当事者研究するようにチームや組織のうまくいかなさを客観視して研究する「当事者組織研究」ができると良いのではないか。そのためにはどんなダメさ加減も笑い飛ばせるユーモア力や組織の誰も否定も改善もしなくて良いありのままを受け入れられる文化が必要なのだろう。

薬で症状に対症療法しようとするのと同じで、テクノロジーでで対症療法することのデメリットも考慮したうえでシステム変容しないといけないのだなぁ。技術にだけ目を向けていると気づかないのだろう。陰陽。

iPad ProのSlackで「お時間」と入力しようとして「ojikan」と入力して変換させようとしたら100%落ちる現象を見つけてしまった。他は大丈夫なのに不思議。秘孔なのだろうか…

医療は「人を生かす」のが目的だからまずは症状をなくそうとするので対症療法が中心になるのだなぁ。根本原因を追求するよりまずは症状をなくそうとする。「人を活かす」ためには対症療法では不十分だから身体や生活環境というシステムの変容が求められる。両者は使い分け。

昨日は久しぶりの里山に初めての道。新しい道を開拓するのは楽しいね。そういえば愛媛マラソンの日だったのか。これでフル走ったら暑かっただろうなぁ。

昨日の路地裏アジャイルのメモを書いたのだが、そういえば規約で会話のメモって公開しちゃいけないんだっけ?話した当人であればいいのだろうか?

自分がClubehouseにあまり惹かれないのはリモートワーク生活が長いので仕事、趣味、家族や友人との会話など自分なりの生活リズムがすでにあるので新しくリズムを再構築する動機付が弱いためだろう。リズムが崩れて自律神経のバランス崩れると戻すの大変なお年頃。

Clubhouseでやった路地裏アジャイルはセレブ感まったくゼロでよかった。昨日話て感じたのはそれぞれの多かれ少なかれ持っている弱み・生きづらさを当事者研究で明らかにし、それを持ち寄って共有した上で協調すると何が起こるのだろう?という可能性。

路地裏アジャイル、地震が来たので終わっちゃったけど「当事者研究」に更に興味がでたのでよかった。生きづらさを研究することで違った見方ができるかもしれない。 toukennet.jp

埼玉、東京に住んでる間に渋沢記念館に行っておけばよかったなー、アフターカーニバルだが。ここから『渋沢家三代』に興味を持って渋沢敬三や宮本常一に繋がる民俗学に興味持つ人が増えると良いなぁ。amzn.to/2ZgiMZ7

明日の漢検に向けて我が家の過半数の人が漢字との戦いに明け暮れていてすっかり取り残された気分。自分は自分で別の闘いに向かわないといけないのだが。孤独な戦いは続く。。。

“デジタル庁では今後、このような多重構造ではない発注の仕方を最終的に目指していきたい」と改めてデジタル庁創設の意義と創設後の方針を示した。” www.itmedia.co.jp/news/arti…

誰かの不用品が誰かの必需品となり、誰かのゴミが誰かのエネルギーとなる。まさにこれが生命の円環。畑の隣のゴルフ場の松の倒木や松ぼっくりが自分たちの焚き火の貴重な燃料になる。街中を歩いて見てみると自分の目には全部資源にしか見えないんだよね。燃えるゴミに出してる剪定ゴミとかまさにそれ。