問題はscrapboxのslugの命名規則が英語圏前提で変なものになってしまうことくらいか(文中のアルファベットだけを抜き出してURLにしてしまうのでとても変)。issueは上げてるけどいつか対応してくれるのだろうか?

呟きをmicro.blog(->Twitter)とscrapboxにポストして後でscrapbox上でCreate Pageして切り出したりタグ付けたりして整理していくやり方は、思ったよりもしっくりきていてよいなぁ。発散と収束がやりやすい。ここから記事ネタも拾える。

昨日グラベルロードを店に見に行ったらフレームのごつさに驚いた。アルミのせいというのもあるけどクロモリロードの細身と比べると雲泥の差だなぁ。昔もってたMTBと比べてもごつい。高いとカーボン使ってフレームはスッキリするのだろうか。とりあえずゴツくても最初はアルミでいくかね。

昨日雪が少し積もってる山を走ってきたけど、雪を踏みしめる足音が気持ちよかった。立ち止まると音がしない静寂の世界。こんどはゆっくり雪山ハイクしたいなぁ。でも歩くと寒そうなので、走って歩いての繰り返しが良さそうだな。

福見寺経由で福見山〜明神ヶ森まで初めて行ってみたー。雪が積もっていて面白かった。動物の足跡も沢山あったなぁ。

久しぶりに淡路ヶ峠に行ってきた。やや曇りだったが相変わらずの景色だったなぁ。 時間がなくて宝が峰まで行けなかったのが残念。#morningrun

数秘術の33について調べたら「宇宙愛」「世界平和」「生きづらい」「破壊と創造」「価値観からの解放」「奉仕」「お金に無頓着」「自由人」「周囲に理解されない」とか色々書かれていて当てはまるのでワロタ。士動物占いも孤高の狼だったし、まぁ運命受け入れてます。「でも、やるんだよ!」

美容院に行く途中に久しぶりに見た綺麗な虹🌈。車運転してたから写真撮れなかったけどその後カットしてもらってる時に美容師さんに数秘術の話されて生年月日で見てもらったら運命数が33の特別なレインボーの数だって。何かいいことありそう!?

『オーパ!』の完全復刻版が1月に出るらしい!8800円!これは予約だな。amzn.to/3gZ3jop

巨大温室作って池を掘ってアマゾンの生態系の中で暮らしながら生き物観察したかった自分としてはピラルクーとドラードが泳いでる水槽は子供の頃の夢。『オーパ!』とか『ナマズ捕りに学べ』をバイブルとして育った世代なので、あつ森作った人もそういう世代なのかと勘ぐってしまう。

娘が受験ひとまず一段落したので我が家で「あつ森」が解禁された。ピラルクー釣った、チョウザメ釣ったという話があちこちで聞こえる。水槽で泳いでる姿はリアルだったな。釣り・熱帯魚にドハマリした少年時代を過ごしたのでビジュアルを見せてもらって魚名をぱっと答えたら驚いてた。(学名は無理)

相手に一方的に話をすると、相手の理解の確認もなきまま進んでしまい、相手の理解のコップがすぐに溢れてこぼれ落ちてしまう。結局少しづつ確認をしながらぽつりぽつり話をするしかない。話す方はスッキリするのでそれが目的ならいいのだけど。焦るといいことない。

Scrapboxにwebmentionが欲しいと書いたが設計思想に反するらしい。個人的には scrapbox.ioを越えたbacklinkのイメージなんだが合わんのかなぁ。scrapbox.io/shokai/承認欲求の刺激につながる機能を全て排除する

人の発言や行動ではなくそのひとの魂の声を聞いて物事を判断できるようになりたいなぁ。発言だけをひたすら聞いてても疲れる。。。

アレグザンダーの全体性の話は、部分ー全体の関係とは別に、形としての全体ー部分・センター・15のプロパティの話が出てきて混乱するのだろう。まずは部分ー全体の関係性(形はおいておく)についての理解を得て、次に形の問題に目を向けるといいと思う。

昔のブログを見てみたが走り初めて3年で体重が安定し以降は落ち着いてるということに気がついた。朝フルーツ&シリアル以外は食事制限かけてない。giantech.jp/2015/08/1…

松山から内子に引っ越した友人に限界集落の地元を人生かけて活性化させようとしている人がいる。周囲は助けてくれ人も少なく何年も一人で奮闘しているのを見てきた。なかなか自分も手伝えずこの数年いる。せめていろいろな人を繋げて弾みのきっかけになるといいなぁ。

WebmentionやMicropubに対応するWikiがほしい。Scrapbox対応してくれないだろうか?FedWikiにそういうプラグインつくってみようかな。。。その前にFedWikiちゃんと使わないといけないけど。 #indieweb

流域思考は人が勝手に境界を決めた行政区分ではなくて、自然が生み出した地形に基づくバウンダリで物事を考えるという事なのかもしれないなぁ。もう少し調べてみようっと。

体内の細菌や臓器が全体の調和を乱すように振る舞うことで自分の体調が変化し疾病を引き起こすように、人が自然の調和を乱すように振る舞うことでより大きな全体のバランスが崩れて異変が起きることは自明だ。有機体としてみた時に、人は地球であり、地球は人である。

体内の細菌も含めた有機体の全体としての自分、組織という有機体の一員としての自分、そして地球という有機体の一部としての自分。自分という存在は有機体の部分であり全体であり、どれ一つとして独立して存在し得ないということに気づくことで人はどのように変われるのだろうか?

生態保全の流域志向とバリューストリームが被る。いずれも川上から川下までの全体の手入れが重要。それにしても小網代の自然が凄いなぁ。

ワクワクすることをしようの原典はバシャールなのかもっと前からあるのか?本質的には変わってないが伝える人が変わって受け継がれてるイメージ。イキイキすることをしようというのはないのかな?どちらかというとプロセスか結果状態だからかな。

32インチ4Kディスプレイが1080pしか認識されなくなる現象はどうやらちゃぶ台でモバイルディスプレイを繋げたあとに生じる現象であると気づいた。確証はないけどちゃぶ台でデュアルディスプレイしてて、スタンディングに移動して32インチに繋げると1080pしか認識しなくなるっぽい。

最近は「XXX大全」というのが流行ってるのかー、というのをAmazonの書影を見てて感じた。「大全」っていうのはいいんだけど結局できることはひとつずつなんだけどそのあたりみなどうしてるのかね?とりあえず辞書的に買っておくのかな。